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静岡地方裁判所 平成7年(ワ)177号 判決

原告

山本嘉彦

右訴訟代理人弁護士

清水光康

被告

静岡市

右代表者市長

小嶋善吉

右訴訟代理人弁護士

牧田静二

右訴訟復代理人弁護士

祖父江史和

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、四六八五万三一六一円を支払え。

第二  事案の概要

一  原告は、被告が設置運営している静岡市立静岡病院(以下「被告病院」という。)において、平成元年一〇月三〇日に左肩の、平成二年六月二一日に右肩の、それぞれ人工腱板による腱板断裂の再建術(以下これらの手術を「本件手術」という。)を受けたが、同手術により両肩の症状がむしろ悪化したとして、原告と被告との間の同手術委任(診療)契約の債務不履行に基づき、被告に対して損害賠償を請求した。

二  争点

本件手術により原告の両肩が手術前より症状が悪化し、かつ、右肩に化膿性肩関節炎が併発したか(以下「争点一」という。)、原告の両肩の悪化等は全面的に改善するとの約束違反、手術方法の選択の誤り、手術の失敗等、被告病院の債務不履行によるものか(以下「争点二」という。)、原告に生じた損害額は幾らか(以下、「争点三」という。)。

1  争点一について

(一) 原告の主張

原告は、被告病院にて入通院加療を受けてきたが、本件手術によって、両肩の症状は改善するどころか却って悪化し、両肩とも屈曲(前方挙上)が約六〇度に制限され、強度の疼痛を伴い、また、右肩については化膿性肩関節炎が併発した。原告には、すでに平成二年六月末から七月にかけて著明な疼痛と発熱があり、平成三年九月から一〇月にかけて39.5度の高い発熱と右肩痛があったことから、被告病院佐々木医師の診断を受けたところ、同医師は「風邪と思われるから内科に廻す」と指示しただけで、右肩(化膿)の治療を一切実施しなかった。さらに、本件手術により、手術に用いられた人工腱板の癒着を生じさせて強度の疼痛を惹起させた。

そこで、原告は平成四年一月一六日静岡赤十字病院に転院し、同病院整形外科の山中芳医師の診断に基づき平成六年三月三一日左肩関節形成術を受けたが、その結果平成八年一〇月当時左肩関節の疼痛は改善され、屈曲(前方挙上)は約一三〇度まで可能となり、また現在においては右肩も左肩と同程度まで可動できるようになった。

後記(二)(2)記載に係る原告の両肩の可動域に係る測定値によれば、改善が認められるかのようであるが、原告が痛みを訴えたにもかかわらず、西山正紀医師がこれを無視して強引に原告の両上肢を挙上させて測定したものであるから、右測定値については信用することができない。

(二) 被告の主張

(1) 右肩の化膿性肩関節炎の併発について

一般に化膿性関節炎が発症すると、局所に発赤、発熱、疼痛及び腫脹などの急性炎症所見が現われるほか、全身の発熱、白血球の増加、赤沈値亢進及びC反応性蛋白(CRP)が陽性を示すことが通常であり、関節穿刺液から細菌培養で化膿菌を検出できれば診断は確定するものであり、また、化膿性関節炎が発症したにもかかわらず、長期間右徴候のないまま経過することはありえない。

しかしながら、原告に本件手術後に化膿性肩関節炎が発症したことを窺わせる徴候は認められないのであるから、原告の右肩に係る化膿性肩関節炎について本件手術により発症したものと認めることはできない。

(2) 両肩の症状悪化について

次のとおり、本件手術により、原告の両肩の症状には改善が認められる。

① 関節可動域について

原告は本件手術後療養継続中であったにもかかわらず、平成三年八月三〇日勝手にリハビリ訓練を中止し、同年九月二五日以降被告病院に通院しなくなったものであるが、本件手術により原告の両肩の関節可動域は次のとおり顕著に改善した。

(左肩)

被告病院の術前

屈曲 三〇度・外転三〇度

平成二年五月二五日

屈曲一五〇度

平成三年九月二五日

屈曲一一〇度・外転九〇度

静岡赤十字病院の術前

屈曲一二〇度

(右肩)

被告病院の術前

屈曲 八〇度・外転八〇度

平成三年九月二五日

屈曲一二〇度・外転九〇度

静岡赤十字病院の術前

屈曲一二〇度

なお、原告が痛みを訴えたにもかかわらず、西山正紀医師がこれを無視して強引に原告の両上肢を挙上させてその可動域を測定したことはない。

② 運動時痛について

平成元年八月三〇日当時、原告は上腕を体幹の脇につけていないと痛くて過ごせないほど運動時痛が強度であったが、本件手術後は運動時痛は軽快した。

③ 痛みについて

平成元年八月三〇日当時、原告は安静時痛、夜間痛、運動時痛、強痛を訴えていたが、平成二年六月四日右肩に係る本件手術のために入院した時には、右肩の痛みを訴えたが、左肩の痛みの訴えはなく、平成三年九月二五日には肩の痛みを訴えたものの本件手術前よりも軽かったというのであり、また、原告が静岡赤十字病院に通院するようになった平成四年一月二七日まで肩の痛みを訴えていない。

2  争点二について

(一) 原告の主張

(1) 改善約束違反

被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らは、本件手術前に原告の両肩の疼痛と可動域制限の大幅な改善を約束したにもかかわらず、その約束に反して右症状を改善させることができなかったものである。

(2) 手術方法の選択の過誤

被告病院は原告に対して本件手術を施す必要性がなかったにもかかわらず、これを行ったものである。

また、原告には本件手術の適応がなかったものである。すなわち、人工腱板による腱板断裂の再建術は、人工材料を使用するために、生体の拒否反応のおそれが多大であるから、極力避けるべきであり、断裂した腱板欠損部の大きさが長径五センチメートル以上あり、腱板断裂が中枢へ引き込まれている広範囲断裂の場合に限ってこれを選択すべきであったにもかかわらず、両肩の腱板欠損部がいずれも三センチメートル×四センチメートルにすぎない原告について、これを選択したものである。

(3) 説明義務違反

被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らは、原告に対し、本件手術の必要性の有無、右手術方法の長所と短所、危険性、術者の経験度、改善の可否等について、適切かつ詳細な説明を行うべきであったにもかかわらず、これを行っていない。

(二) 被告の主張

(1) 改善約束違反について

被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らが原告に対し、本件手術による原告の両肩の改善の程度について約束したことはない。医療契約においては、医師は患者に対し、現在の医学水準に沿って症状の解明とその治療を行うことを約束するものであり、患者に対して適正な医療行為を履行することを約束することはあったとしても治療の結果まで約束するものではない。仮に、右医師らが原告に対し、治療の予後を話したとしても、それは症状改善の見通しを話したものと理解すべきである。

(2) 手術方法の選択の過誤について

原告に対しては本件手術を施す必要性があった。

人工腱板による腱板断裂の再建術は、今日、広範囲腱板断裂損傷の症例に対して多くの医療機関、医師により評価され、現に実施されている手術方法であり、何ら手術方法の選択について過誤はない。

(3) 説明義務違反について

被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らの原告に対する説明義務違反はありえないが、原告の説明義務違反の主張については、故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃方法であり、訴訟の完結を遅延させるものであることから、民事訴訟法一五六条、一五七条一項により却下されるべきである。

3  争点三について

(一) 原告の主張

(1) 休業損害一九二〇万九六〇〇円

原告は電機機械組立業を営んでいたが、被告病院に入院した平成元年一〇月二〇日から静岡赤十字病院の左肩再手術によって左肩可動域が改善した日である平成六年三月三一日(症状固定日)まで全面的に休業せざるをえなかったことから、一九二〇万九六〇〇円の休業損害を被った。

(2) 入通院慰謝料

五〇八万〇〇〇〇円

原告は本件手術により、被告病院と静岡赤十字病院へ合計約一六か月入院し、かつ、約三八か月通院することを余儀なくされたことから、入通院に伴う慰謝料は五〇八万円と評価すべきである。

(3) 後遺障害慰謝料

八五〇万〇〇〇〇円

原告は本件手術により、両肩に屈曲制限等の後遺障害を被ったが、これは後遺障害別等級第七級から第八級に相当することから、右後遺障害による慰謝料は八五〇万円が相当である。

(4) 逸失利益

一四〇六万三五六一円

原告は症状固定日(平成六年三月三一日)に六六歳であり、更に八年間は就労可能であったにもかかわらず、前記後遺障害により労働能力を五割喪失したことから、前記後遺障害による逸失利益は一四〇六万三五六一円が相当である。

(二) 被告の主張

原告の主張についてはいずれも争う。

第三  争点に関する判断

一  原告の両肩に係る治療経緯

証拠(各項の末尾に掲記)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は昭和六〇年一月一二日、右肩全体の圧痛、左肩肩鎖関節、大結節の圧痛を訴えて静岡赤十字病院整形外科を受診したが、彦坂医師が原告の両肩の関節運動可動域について測定したところ、その結果は右肩につき外転三五度、外旋二〇度、左肩につき外転六〇度、外旋一〇度であり、レントゲン写真によれば両肩関節に変形性変化が認められ、右肩の症状がより重度であった。また、断層写真によれば、両側臼蓋下縁に骨棘形成が認められ、臼蓋の深さは増加しており、特に左上腕骨骨頭は上方へ移動していることが認められた。以上より、彦坂医師は両側変形性肩関節症と診断し、腱板に損傷が認められた場合には修復手術を施すことなどが検討された(甲第一三号証、第一九号証の2)。

2  原告は昭和六一年一月二八日、被告病院整形外科を受診し、その際にも両側変形性肩関節症と診断された(乙第一号証、証人藤田邦彦の証言)。

3  原告は昭和六二年一二月九日、再度静岡赤十字病院整形外科を受診したが、その際の原告の両肩の関節運動可動域は、左右の肩とも屈曲三〇度(前方挙上を言い、正常可動範囲〇ないし一八〇度)、外転三〇度(側方挙上を言い、正常可動範囲〇ないし一八〇度)、外旋一五度(上腕を体幹に接し、肘関節を前方九〇度屈曲した位置を原点として前腕を外側に回転させることを言い、正常可動範囲〇ないし九〇度)であり、本人は手術を希望していたが、カンファレンスの結果手術は無理と判断された(甲第一三号証、乙第九号証)。

4  原告は平成元年八月三〇日、再度被告病院整形外科を受診し、藤田邦彦医師に約三五年前に肩関節を脱臼した既往歴があり、昭和六〇年ころから糖尿病を煩っている、約三〇年前から上肢の挙上が困難になった、夜間肩の痛みで起きる、肩関節に引っ張るような痛みと運動障害があり、脇を付けていないと痛くて過ごすことができないなどと訴えたので、藤田邦彦医師は首や肩のレントゲン写真を撮影し、原告の自動による両肩の関節運動可動域を測定したところ、右肩については屈曲八〇度、伸展(後方挙上を言い、正常可動範囲〇ないし五〇度)六〇度、外転九〇度、左肩については屈曲六〇度、伸展二五度、外転二五度であり、正常値を満たすものではなかった。

そこで、藤田邦彦医師は、四肢神経学的に異常は認められないものの、変形性肩関節症に合併する腱板の損傷が疑われると診断し、西山正紀医師に主治医になって腱板損傷の有無について検査するよう指示した。西山正紀医師が原告の自動による両肩の関節可動域を測定した結果は、右肩については屈曲九〇度、外転三〇度であり、左肩については屈曲・外転とも三〇度であった(乙第一、二号証、第九号証、証人藤田邦彦の証言)。

5  西山正紀医師は平成元年九月五日、原告の両肩の関節造影を行い、原告の両肩を関節広範囲腱板断裂、変形性関節症と診断した。そこで、藤田邦彦医師は同月一六日西山正紀医師ら整形外科担当医師によるカンファレンスにおいて原告の両肩に人工腱板の設置術と肩峰の形成術等を施すことを決定して原告に伝え、原告もこれを承諾した。

原告は平成元年一〇月二日、本件手術の効果を上げるために両肩の拘縮のリハビリと糖尿病を抑制するために被告病院に入院し、ホットパック治療及び極超音波治療等のリハビリ治療が手術直前まで続けられたが、右入院時の原告の自動による両肩の関節可動域は、右肩が屈曲九〇度、外転三〇度、左肩が屈曲三〇度、外転三〇度であり、同月九日には右肩が屈曲八〇度、外転八〇度、左肩が屈曲八〇度、外転三〇度であり、同月一六日には左肩が屈曲六〇度となった。

藤田邦彦医師は平成元年一〇月一八日、原告からの訴えが強く、変形性関節症変化の軽い左肩から手術を開始することとしたが、大きな肩腱板の断裂(損傷)の存在が認められたことから、腱板の断裂を新鮮化してこれを引き出し旧付着部である大結節部に逢着固定する方法(マックローリン法)では修復できない部分があると判断し、修復できない部分についてはテフロンフェルトや大腿筋膜張筋等を使用して腱板を補修する必要性があるものと認め、同月三〇日に手術を施行することを決定した(乙第一、二号証、証人藤田邦彦の証言)。

6  西山正紀医師及び藤田邦彦医師らは平成元年一〇月三〇日、原告の左肩腱板の六センチメートル×七センチメートル程度の広さの広範囲断裂に対してマックローリン法を施し、欠損部に対して四センチメートル×三センチメートル程度の広さのテフロンフェルトを使用して腱板を縫合し人工腱板を創設し、かつ、肩峰形成術を施した。

右手術後は左肩に持続的他運動装置(CPM)を装着したり、ホットパット治療、作業療法等のリハビリ治療が被告病院にて続けられ、平成二年一月二四日に同病院を退院した後も通院によるリハビリ治療が続けられた。原告の自動による左肩の関節可動域は、平成二年一月一〇日には立位で屈曲九〇度、仰臥位で屈曲一二〇度、同月三〇日には屈曲九〇度(他動での可動域制限は殆どなし)、同年二月九日には屈曲一〇〇度、同月二三日には屈曲一〇五度、伸展四五度、同年三月九日には屈曲一一五度、伸展四五度、同月二三日には屈曲一二〇度、同年五月二五日には屈曲一五〇度となった(乙第一、二号証、証人藤田邦彦の証言)。

7  原告は平成二年六月四日、右肩の手術を受けるために被告病院に入院したが、入院時の検査においては自動による右肩の関節可動域は、屈曲八〇度、外転八〇度、伸展二〇度であり、左肩は屈曲一三〇度、伸展四五度であった。同月五日には両肩関節造影が行われ、左肩については再断裂は認められなかったが、右肩については広範囲な腱板損傷が認められた。また、原告は同月六日から手術直前まで、ほぼ連日ホットパック治療や拘縮予防の作業療法等を受けた(乙第一号証、第三号証、証人藤田邦彦の証言)。

8  被告病院の西山正紀医師、浦和真佐夫医師及び北尾淳医師は平成二年六月二一日、原告の右肩腱板の六センチメートル×七センチメートル程度の広さの広範囲断裂に対して、左肩と同様のマックローリン法を施し、欠損部に対し四センチメートル×三センチメートル程度の広さのテフロンフェルトを使用して腱板を縫合し人工腱板を創設し、かつ、肩峰形成術を施したが、左肩の場合と異なり、関節内の上腕二頭筋の腱が変性してあたかも肩腱板のように帯状に広がっていたことから、この腱も利用して腱板を修復することとした(乙第三号証、証人藤田邦彦の証言)。

9  右手術後は右肩に持続性他動運動装置(CPM)を装着したり、ホットパック治療、作業療法等のリハビリ治療が被告病院にて続けられ、平成二年九月三〇日に同病院を退院した後も、通院によるリハビリ治療が続けられた。

原告は平成二年七月一六日、右肩の上腕二頭筋(長頭)腱の圧痛、棘下筋の圧痛を訴えたため、被告病院においてはキシロカイン、リンデロンの局所注射が施された。

平成二年八月二八日に被告病院において原告の自動による右肩の関節可動域を測定したところ、立位において屈曲九〇度、仰臥位において屈曲は特に問題なかったが、同年九月一二日には原告から運動時痛の訴えがあった。原告は同年一〇月一二日上腕二頭筋腱(長頭)の圧痛を訴えたため、被告病院においてキシロカイン等が投与されたが、自動による右肩の関節可動域については屈曲九〇度であり、同月一三日には自動による関節可動域は右肩につき屈曲六〇度、左肩につき屈曲一六〇度、外転一六〇度であり、原告は右肩の疼痛が比較的減少したと述べていた。同月二三日には自動による両肩の関節可動域は屈曲一三〇度であり、原告は以前より痛みが減少した旨述べていた。同月二六日には自動による右肩の関節可動域は屈曲九〇度であり、他同的に右上腕を挙上して話したところ一二〇度の状態で保持することが可能であったが、同月三一日には自動による右肩の関節可動域は屈曲八〇度であり、原告が右肩筋圧痛を訴えた。原告は平成二年一一月九日右上腕に強度の圧痛があると訴えたため、被告病院はキロカイン等を投与した。原告は平成二年一二月八日交通事故に遭遇したことから同月一〇日に両肩の痛み等を訴えて被告病院を受診し、同月一四日にも肩の痛みを訴えたが、この際の被告病院における自動による両肩の関節可動域は屈曲四五度であった。

その後、原告の自動による右肩の関節可動域は平成二年一二月二八日には屈曲四五度であったが、他動運動では痛みなどの問題は殆どなく、原告は平成三年一月一一日右肩運動時痛を訴えたが、自動による右肩の関節可動域は屈曲八〇度であり、同月二五日には屈曲一二〇度に改善し、かつ、夜間痛の減少傾向が認められた。原告は同年二月一九日軽度の右上腕二頭筋腱(長頭)圧痛を訴えたが、自動による両肩の関節可動域は屈曲一二〇度であった。原告は同年三月五日調子が悪いと訴え、自動による関節可動域は右肩につき屈曲四五度、左肩につき屈曲四五度であったが、同月一一日には右肩につき屈曲一五度、左肩につき屈曲一〇五度であり、筋圧痛の訴えはなく、同月一九日には両肩につき屈曲一二〇度であり、圧痛の改善が認められた。同年四月一日には自動による両肩の関節可動域は屈曲一二〇度であったが、原告は同月二九日自動二輪車との接触事故に遭遇し、その後被告病院リハビリテーション科において肩関節痛が増悪したと訴えていた。なお、同科においては右訴えについて客観的に裏付ける所見はなく、原告の精神的因子が大であろうと評価していた。原告は同年六月一二日夜間痛を訴え、自動による関節可動域は右肩につき屈曲七〇度、左肩につき屈曲五〇度であった。原告は同年七月二四日、八月二一日右肩部痛等を訴えており、同年九月二五日にもなお両肩部痛を訴えていたが、自動による関節可動域は右肩につき屈曲一二〇度、外転九〇度、左肩につき屈曲一一〇度、外転九〇度であった。

原告は平成三年八月三〇日まで継続的に被告病院におけるリハビリ訓練を受けていたが、同日を最後に右訓練の受診を中止した(乙第一号証、第三号証、証人藤田邦彦の証言)。

10  原告は平成三年一〇月三日被告病院の内科を受診した際、整形外科に投薬を請求したのを最後に、被告病院を訪れなくなった(乙第一号証、証人藤田邦彦の証言)。

11  原告は平成四年一月一六日、重い物を持ったことから腰痛が発生した旨訴えて静岡赤十字病院に通院を開始し、平成四年一月三〇日腰痛の治療のために静岡赤十字病院に入院したが、同病院整形外科の山中芳医師の診断に基づき、関節痛の訴えがある両肩についても再手術を行うことにした。原告の自動による関節可動域は、この時、右肩につき屈曲九〇度、外転七五度、左肩につき屈曲八〇度、外転八〇度であった。なお、原告はこのころ、自発痛、運動時痛、夜間痛等、強い右肩関節痛があるが、本件手術後にその痛みが強くなったと訴えた(甲第一三号証、第一七号証、第一九号証の2、証人山中芳の証言)。

12  静岡赤十字病院の山中芳医師は、原告が訴えた右肩関節の強い疼痛については本件手術により癒着が生じているものと認め、平成四年三月六日右肩関節癒着剥離・腱板再縫合術を行ったが、著明な改善は認められず、術後の同年四月一七日ころから右肩関節痛や発赤の増強が認められるようになり、同年三月七日の一般細菌検査では細菌が認められなかったが、同年四月二一日の同検査では原告の関節液及び膿から表皮ブドウ状球菌が検出され、同月六日測定値五五五〇であった白血球が同月一八日には一二三五〇に著しく増加し、炎症や組織崩壊の際に認められるC反応性蛋白(CRP)については同月六日には1.09であったが、同月一八日には14.32に増加した。そのため、山中芳医師は感染症である化膿性肩関節炎が原告に発症したものと認めて、同月二四日右肩関節病巣掻爬・灌流の手術を施した(甲第一七号証、第一九号証の2、証人山中芳の証言)。

13  その後静岡赤十字病院では、平成四年一一月一六日に左肩腱板断裂術後に対する抜釘術が施行され、平成六年三月三一日に左肩関節人工腱板除去・棘上筋前進法が施行され、平成七年四月一八日に左肩抜釘術が施行され、平成八年一一月一二日に右肩人工腱板摘出・僧帽筋移行術が施行された(甲第一四ないし一六号証、第一九号証の2、第二〇号証の一、二)。

二  争点一について

1  右肩の化膿性関節炎の併発について

原告は、本件手術を原因として化膿性肩関節炎が併発し、平成二年六月末から七月にかけて著明な疼痛と発熱を認めていたものであるが、平成三年九月から一〇月にかけて39.5度の高い発熱と右肩痛があったことから、被告病院佐々木医師の診断を受けたところ、同医師は「風邪と思われるから内科に廻す」と指示しただけで、右肩(化膿)の治療を一切実施しなかったと主張した。

なるほど、証拠(乙第一ないし第三号証)によれば、原告が本件手術後も、右肩の圧痛、運動時痛等の痛みを訴えていたこと及び平成三年一〇月三日発熱と疼痛を訴えて被告病院内科を受診したことが認められる。

しかしながら、証拠(乙第一一号証、証人藤田邦彦及び同山中芳の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、一般に化膿性関節炎が発症すると、局所に発赤、発熱、疼痛及び腫脹などの急性炎症所見が現れるほか、全身の発熱、白血球の増加、赤沈値亢進及びC反応性蛋白(CRP)が陽性を示すことが通常であり、関節穿刺液から細菌培養で化膿菌を検出できれば化膿性関節炎の診断は確定するものであり、また、化膿性関節炎が発症したにもかかわらず、長期間右の各徴候のないまま経過することはありえないことが認められるところ、被告病院における診療録(乙第一ないし第三号証)を精査しても、原告について、本件手術後、化膿性関節炎の発症を窺わせる局所の発赤及び腫脹、赤沈値亢進、CRP陽性反応、白血球の上昇及び糖値の低下等があったものと認めることはできず、しかも、証拠(甲第一七号証、乙第一号証、証人藤田邦彦及び同山田芳の各証言)によれば、原告の右同日の後、右肩痛を訴えて被告病院整形外科を受診しておらず、平成四年一月一六日静岡赤十字病院を受診したのも腰痛を訴えてのことであり、そのころ、右病院においては右肩につき化膿性関節炎であると診断されたわけでもないことが認められる。

また、前記認定の治療経緯によれば、原告が平成四年三月六日静岡赤十字病院において右肩関節癒着剥離、腱板再縫合術を受けた直後に、原告に発熱及び疼痛が生じ、平成四年六月には五五五〇であった白血球数が同月一八日には一二三五〇に上昇し、平成四年三月七日の一般細菌検査結果報告書において認められなかった表皮ブドウ状球菌が、同年四月二一日原告の関節液及び膿より検出されたというのである。

そうであれば、原告の右肩に発症した化膿性肩関節炎については、本件手術によって発症したものと評価することはできない。

2  人工腱板の癒着について

原告は、本件手術により、人工腱板の癒着を生じさせ、強度の疼痛を惹起させたと主張した。

しかしながら、前記認定に係る治療経緯のとおり、静岡赤十字病院の山中芳医師が原告に対し平成四年三月六日右癒着を剥離させるために、右肩関節癒着剥離・腱板再縫合術を施したものの、著明な改善は認められなかったものであり、また、証人藤田邦彦は、腱板は骨頭を引き上げる機能を有するのみであることから癒着の有無と痛みや動き易さとの間には関連性が薄い旨を供述していることに照らすと、本件手術により人工腱板の癒着が発生し、強度の疼痛の原因となっていると断定することはできない。

そうであれば、原告の右主張についても採用することができない。

3  両肩の症状悪化について

(一) 前記認定に係る治療経緯のとおり、左肩の自動による関節可動域については、平成元年一〇月二日の被告病院への入院から同月三〇日左肩に本件手術を施すまでは屈曲三〇ないし八〇度、外転三〇度程度であったものが、右手術後の平成二年五月二五日には屈曲一五〇度となり、平成三年ころにおいても屈曲四五ないし一二〇度程度となっており、また、右肩の自動による関節可動域についても、右肩に本件手術を施す直前の平成二年六月四日には屈曲八〇度、外転八〇度程度であったものが、平成三年ころには屈曲四五度ないし一二〇度程度となっていたにもかかわらず、原告は平成三年八月三〇日被告病院におけるリハビリ訓練を放棄したものである。

なるほど、自動による関節可動域については、被検者の精神状態や協力度等によって測定値にばらつきが生じることを避けることができないものであることから、測定値を単純に比較することによって改善の有無を断定することは裁判所にとって容易なことではないが、右の事実関係によれば、原告の両肩の関節可動域については本件手術によって、少なくとも相応の改善傾向にあったものと評価するのが相当である。

この点、原告は、前記認定に係る関節可動域の各測定値については、原告が痛みを訴えたにもかかわらず、西山正紀医師がこれを無視して強引に原告の両上肢を挙上させて測定したものであるから、右測定値については信用することができないと主張するが、被告病院における診療録(乙第一ないし三号証)を精査しても右主張に係る記載は存在せず、また、右測定の回数についても前記のとおり多数回にわたっていることにかんがみれば、仮に、原告本人が右主張に沿う供述をしたとしても、これについてにわかに信用することができないことが明らかであることから、右主張については到底採用することができない。

(二) また、原告の右肩運動時痛、圧痛等の痛みの点についても、その有無及び程度は主観的な評価によるものであることから、前記認定に係る治療経緯によっても、容易に改善の有無を断定することはできないものの、前記のとおり、原告が平成三年一〇月三日の午後、右肩痛を訴えて被告病院整形外科を受診しておらず、平成四年一月一六日静岡赤十字病院を受診した時点においても腰痛を訴えていたにすぎず、右肩痛等を訴えていたものではないことなどに照らすと、少なくとも、本件手術後悪化したものと評価することはできない。

(三) 以上によれば、本件手術により、原告の両肩は手術前より症状が悪化したと評価することもできない。

三  争点二について

仮に、争点一に係る原告の主張が認められたとしても、次のとおり、原告の本件請求については理由がない。

1  改善約束違反について

原告は、被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らは、本件手術前に原告の両肩の疼痛と可動域制限の大幅な改善を約束したにもかかわらず、その約束に反して右症状を改善させることができなかったものであると主張した。

しかしながら、医療契約については、その性質上請負契約のように治療の結果を約束することは不可能というべきであり、医師が患者に対し、現在の医療水準に沿って症状の解明とその治療行為を履行することを約束する準委任契約と解するほかはない。そうであれば、仮に、右医師らが治療の予後を話した事実が認められたとしても、これは症状改善の見通しを述べたに過ぎず、右医療契約の当事者を法的に拘束するものではないことは明らかである。

そうであれば、原告の右主張については失当といわざるをえない。

2  手術方法の選択の過誤について

(一)  原告は、藤田邦彦医師が原告に対し本件手術後、カルテには手術の必要性がないと記載されている旨を説明していたものであり、被告病院は原告に対して本件手術を施す必要性がなかったにもかかわらず、これを行ったものであると主張した。

しかしながら、被告病院の診療録(乙第一ないし第三号証)を精査しても、本件手術の必要性を否定する記載は存在せず、かえって、外来診療録(乙第一号証)の平成元年九月一六日欄には手術予定と記載されているところであるから、前記認定に係る治療経緯のとおり、藤田邦彦医師は平成元年九月一六日西山正紀医師ら整形外科担当医師によるカンファレンスにおいて、原告の関節広範囲腱板断裂、変形性関節症を治療するために、本件手術を施すことが必要であると判断したと認定するほかはなく、また、被告病院が原告に対して本件手術を施す必要性がなかったことを認めるに足りる的確な証拠は存在しない。

そうであれば、原告の右主張については採用することができない。

(二)  また、原告は、人工腱板による腱板断裂の再建術は、人工材料を使用するために、生体の拒否反応のおそれが多大であるから、極力避けるべきであり、断裂した腱板欠損部の大きさが直径五センチメートル以上あり、かつ、腱板断裂が中枢に引き込まれている広範囲断裂の場合に限ってこれを選択すべきであったにもかかわらず、両肩の腱板欠損部がいずれも三センチメートル×四センチメートル程度にすぎない原告について、これを選択したものであると主張した。

なるほど、乙第一〇号証によれば、天理病院整形外科の小松朋央医師らが肩腱板広範囲断裂に対する各術式の治療成績を比較検討したところ、人工腱板による腱板断裂の再建術については成績やや不良であったとの記載部分が存在する。

しかしながら、原告申請に係る証人山中芳の証言によっても、人工腱板による腱板断裂の再建術は、広範囲腱板断裂の手術方法として広くわが国において実施されているものであり、かつ、原告に対する手術方法の具体的な選択としても特段の違和感は感じなかったというのであり、かえって、証拠(乙第四ないし第八号証、第一二号証、証人藤田邦彦の証言)によれば、広範囲腱板断裂についてはいまだ定型的な手術方法は確立させていないところ、人工腱板による腱板断裂の再建術については奈良県立医科大学整形外科尾崎次郎医師を中心として研究開発された手術方法であるが、右医師らによる自験症例においては極めて有用な成績を収めており、今日広範囲腱板断裂損傷の症例に対して多くの医療機関、医師によって実施されている手術方法の一つであると認められる。

また、被告病院における診療録(乙第一ないし第三号証)を精査をしても、原告の両肩の腱板欠損部がいずれも三センチメートル×四センチメートル程度にすぎなかったと認めることはできず、かえって、証人藤田邦彦の証言には、原告の腱板欠損部については両肩とも六センチメートル×七センチメートル程度であったとの供述部分が存在するところ、本件手術においては、マックローリン法にへ修復してもなお腱板が欠損する部分につきテフロンフェルトを用いたものであるが、入院診療録(乙第二、第三号証)には、テフロンフェルトの大きさが三センチメートル×四センチメートル程度であった旨記載されていることにかんがみれば、前記認定に係る治療経緯のとおり、原告の腱板欠損部については、両肩とも六センチメートル×七センチメートル程度であったと認定するほかはない。

そうであれば、原告の右主張については採用することができない。

3  説明義務違反について

原告は、被告病院の西山正紀医師、藤田邦彦医師らは原告に対し、本件手術の必要性の有無、右手術方法の長所と短所、危険性、術者の経験度、改善の可否等について、適切かつ詳細な説明を行うべきであったにもかかわらず、これを行っていないと主張した。

しかしながら、本件訴訟は平成七年三月二四日に提起され、平成一〇年四月一七日から人証調べを行っていたものであるが、原告の右主張については、平成一〇年一二月一一日の第一九回高等弁論期日に全ての証拠調べが終了した後である平成一一年一月二一日の提出に係る同月二二日付原告準備書面においていて初めて主張されたものであることが当裁判所に顕著であることから、右主張については原告の故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃方法と断ぜざるをえず、また右主張自体の当否はさておくとしても、弁論の全趣旨にてらして、その主張にかかる事実の有無、効果等を明らかにするためには原告本人尋問及び西山正紀医師の証人尋問又は証人藤田邦彦の再尋問を行う必要性があると認められることから、右主張については訴訟完結を遅延させるものと断ぜざるをえない。そうであれば、原告の右主張についてはこれを却下すべきものである。

四  結論

以上のとおり、争点一及び二に係る原告の主張についてはいずれも理由がないことから、争点三について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないものとしてこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官曽我大三郎 裁判官絹川泰毅 裁判官杉本宏之は、転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官曽我大三郎)

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